高島野十郎
2011年 08月 17日
高島野十郎展、娘と二人で観に行ってきました。
素晴しかったです!
↑↑「からすうり」
高島野十郎というと、蝋燭の絵を描く人だとばかり思っていましたがそうではありませんでした。
明治23年(1890年)に生まれ、東京大学農学部を主席で卒業し、その後画家になったという方です。生涯のほとんどをどこの会派にも属さず、写実的な油彩を描き続けたそうです。
1920年作「絡子をかけたる自画像」30歳くらいのときの自画像になります。
初期の作品は筆のうねりと暗さが特徴的でした。
ヨーロッパに留学した後、このうねりと暗さがなくなっていきます。
1935-1945年ごろ「壷とクラスと果物」
1965年ごろ「雨の法隆寺」部分的に損傷し、修復をほどこされたようですが、見事です。
1965年「菜の花」精緻な風景画も沢山描かれていました。
1958年「葡萄」
1956年「菊の花」
ここまでが本館の企画展で、別館に蝋燭や夜の絵が展示されていました。
↓が別館に入ってすぐの部屋です。蝋燭の絵を集めた部屋で、入るなり息をのみました。
この蝋燭の絵を高島野十郎はお世話になった方へお礼として差し上げていたそうです。
ずらっと並んだ蝋燭の部屋は圧巻でした!
1963年「満月」
高島野十郎画伯
図録とともに、評伝「過激な隠遁」を購入し、今読んでいるところです。
高島画伯の絵は、当時「写実」としてあまり評価されなかったそうです。
写実が評価されなかった時代があったとは・・・!!!
今の写実ブームでは考えられない!!!
ただ、今の写真そっくりの絵と違って、何か違うんですよ・・・。
評伝をよく読むと、高島画伯は、仏教を深く学ばれた方で、「見えないものを描く」という精神があったようです。遺稿ノートには
「花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事」
「全宇宙を一握する、是れ写実
全宇宙を一口に飲む、是写実」
「写実の極致、やるせない人間の息づき ――それを慈悲という」
と記されていたそうです。
深い洞察と人格のにじみ出た素晴しい絵でした。
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私の元気の元です!!
by noelu-2008
| 2011-08-17 11:28
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